suzumi`s lifeのブログ

25歳。三年かけてお金を貯め、念願のオーストラリアへ!破天荒な私の日常をのほほ~んと書いていきます(^O^)

夢が叶うまでの今まで・・・⑤


その後ですが・・実は、退職を考え始めていた頃、
搬送も入らず、穏やかな日々が続いていた時期、
無駄な3連休をもらいました。
いきなりの3連休で平日なのでなかなか友達とも予定が合わず、
家でぐーたらしていたときのことでした。


起床してすぐにリビングで朝食をとっていたら
その日に限ってたまたま新聞を見てみました。


そこに何枚かチラシが挟まっており、それもたまたま見てみました。
すると1,2枚求人のチラシがあり、
なんか面白そうで飽きそうにない仕事ないかな~なんて思いながら
ぼけ~っと見てたんです。


すると、その中に、
【スポーツ大好きな方大募集】
というようなことが書いてあり、
スポーツ大好き、動くの大好き、筋肉大好きの私はとてもその言葉に惹かれ、
詳しく見ると・・・なんと!今日が最後の説明会ではないか!!!


急いで電話をして、その説明会に参加できることになったのです。
すぐ準備をしてすぐに会場へと向かいました。


ですが・・・


説明会始まってすぐに、
育士の免許が無ければできない
というような内容をお話さていたのですが、
いや、聞き間違えかもしれないと思い、その仕事に関しての話は
真剣に聞いていました。


説明会が終わり、その会社の女性に、恐る恐る確認してみたんです。


「保育士免許が無いと・・いけませんか?」と・・・
即答でした。
「そうなんですよ~」
撃沈。
きっとチラシに記載はされていたのでしょうね。
まっったく見ていなかった。
よくあるんです、こういうこと。


まあしょうがない!と思い、その女性と話しながら、駐車場へ向かっていると、
「じゃあ介護は興味ない?」
とのこと・・・いや、私1回経験あるんです。介護職。
患者さんとお話ししたり、ご飯や、おむつ替え、身の回りのお世話をさせて頂きましたが、嫌と思ったことはなかったです。介護職も楽しかったんです。
職場の関係は過去最高で最悪でしたけどね。
患者さんの前でお金の話。口も悪く、何年も介護職してて慣れてしまったのか、患者さんへの対応が雑すぎる。この年でこんないじめあるんだっていうような
たちの悪いいじめ。そして何も出来ない、言えない小さい私。
患者さんと話しているときが一番楽しい時間でした。


そんな中で一度、私はヘマをしてしまったんです。
介患者さんの爪切りをしているとき、
いきなりその患者さんが、すごく大きい声で
「あーーーー!!!!あーーーーーー!!!!」と叫び始めたんです。
なにがなんだかわからず立ち尽くしていたら
指から少し血がでているのに気がつきました。
私は皮膚も少し切ってしまったんです。


その方は、意識はありますが話すことができず、
体を自由に動かすことが出来ない方でした。
大きい声を出して必死に痛みを訴えていたのだと思います。


私はとても焦りました。てんぱりました。
気を取り直し、看護師さんを急いで呼びに行き、
処置して頂きましたが、絆創膏を貼るだけで済みました。
今でも思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
ひとまず安心はしましたが、この後、その方の血液検査をしたところ
C型肝炎ということが判明しました。


患者さんに触るときはビニール手袋着用が義務づけられていたので
私はなんともありませんでしたが・・・。


それ以降は、爪を切るのも、ご飯を食べてもらうのも何もかもが
怖くなってしまったんです。
また血が出たらどうしよう・・・叫んで、頭に血が上って意識なくなっちゃったらどうしよう。ご飯つまらせちゃったらどうしよう。硬直している足を動かして折っちゃたらどうしよう・・・もう永遠ループでした。
そんな時です。その悩みから解放されずに困っていた時期、
ちょうど何日も腹痛が何日も続いたんです。明らかに通常の腹痛と違ったので、
職場で(職場は小さな病院でした)軽く診察してもらいました。
ですが、とくに問題はなく・・・ですが尋常じゃない痛み。
かといって、問題ないのに休んだりしたら
この病院じゃ仮病扱いになるだろうと思い、必死こいて出勤していました。
ですがスタッフがいないところで少しうずくまったりしていたら、
認知症の患者さんが「あなたお腹痛いの?昨日もそうしてたでしょう」って!!!!
「へ?!?!」でした!もうね、涙でました。笑
で、とうとう、高熱、下血、ときたので、これやばいやつだと思い、もう一度診察。
そして入院。
いや、この病院で、あの人たちに面倒見てもらうなんてぜっったいに嫌だ!!!!
と、失礼ながら、院長に別の病院に移してくださいと懇願し、大きい病院に無事移れました♡いやー院長怒ってましたね、俺に恥かかすなよ!ってんで。笑


そこで1ヶ月しないぐらいかな?入院しました。近くに誰も知り合いや友達もいないし、日々孤独と空腹との戦い。そして決心しました。
あーもう辞めよう。もう実家帰ろう。
そう、もうさみしくなっちゃったんでしょうね♡
介護の仕事も3ヶ月ぐらいかな?
そんなもんしかしてませんが、退院して、病院挨拶行って、実家へ帰ったって感じですね!
いやー、すごい話ずれてて我ながら呆れる。笑


次こそは、「介護に興味ない?」その後・・・です♡


動物保護団体から預かりました。
一緒に暮らしてた、メオちゃん♡今も実家で一緒でっせ♡

夢が叶うまでの今まで・・・その④


葬儀屋に勤めてからの日々はとっても充実していました。
日々勉強、日々努力、日々経験。


専門用語から仏式や神式、様々な宗派の作法を覚え、実践し、
失敗して、怒られて、勉強して、の繰り返し。


そんな毎日を過ごしていたからか、1日が、1週間が、1年が過ぎるのが
あっという間でした。


葬儀屋に勤めてからは、社員も少なく、また、予測が出来ない職業でもあるので
次の日が休みだとしても、搬送というか、式が重なればもちろん出勤しますし、
休みでも搬送連絡が入れば(うちの会社は搬送依頼を頂いたら一斉送信で社員に連絡が来ます)、
「こんな私がのんびりしている時にみんな忙しくしてるのか・・・」
「ちゃんとまわるかな~」
「あの寺の準備の仕方わかるかな~」など、
気づくと、休みでも仕事のことばかりを考えていました。
今月4回しか休んで無ーい!なんてざらにありましたえ(´д`)。


葬儀屋に勤めていた頃は仕事中心の生活。
飲み会大好き♡、アウトドア大好き♡な私でしたが、
その二年間の中でのたまの休みは基本的にただただ家で
寝て過ごす。そんなもんでした!
でもね、辞めてから気づいたんです。
いっちばん遊べる20代前半を私はほぼ仕事に費やしてしまった・・・・。
なんと勿体ないことをしてしまったんだ!!と。笑


そこから、私は体調を崩そうとも誘われたら行ける時は必ず行く!と心掛けるようになりました♡
まあ、でも当時仕事しかしていなかったお陰で、貯金が出来たんですけどね♡


今も思いますが、
いっちばんやりがいの感じられる、真剣になれる、成長できる、
それは、葬儀屋さんでのお仕事だったのは間違いありません!
気持ち悪いといわれようが、線香臭いと言われようが、
その職業をとても誇りに思いますし、私の中での自信にも繋がります。
私、すごい飽き性だから、1年ちゃんともつかな・・・って心配してたんだけど
そんなん考える間もなく目まぐるしい日々だったし、
しかも、毎日全てが違うの!昨日と一緒ってことがない!
住職にしろ、仏具や、式場準備の仕方も違うし、
ご親族にしろ、会館も違ったり、日々新鮮なのよね!
だから続いてたんだなーって思います。


葬儀業界は、まだ偏見の目で見られることはあると思いますが・・・
ましてや年が若ければ若いほど・・・


いやでもね、私が葬儀屋で気づいたこと!
男女ともにみんな気が強い!!!
でも自分を強く持ってないと出来ない!あの仕事は!
大切な方の人生最後の晴れ舞台を、一度しか無い晴れ舞台を
どのようにして進行していくか・・
何十万、何百万ってお金が動くんですもの、
知らずうちに気は強くなってしまうんですね・・笑


あ、なぜ葬儀屋を辞めたかって言うとね、
その会社の評判が良くないのは知ってたんですけど、
いくつか会館を持っていて、次々と閉館する様子や経営体制を見てて、
「こりゃ潰れるのも時間の問題だわ。給料支払われてる間に辞めよう!」
と、最終的にはこんな感じの理由で決意しました!
簡単に決めた感じになっちゃってるけど、
その時はすごい悩みました!社員も本当に大好きだったし、
仏教や神式、キリストやいろんな宗教の歴史や作法って
なかなか聞ける、教わる機会なんてないじゃない!
こんな素敵な仲間と出会えることは無いかもしれない・・とか、
こんなに魅力を感じる仕事他にあるか?など・・・


でもね、その会社はこれ以上、上にいかない。いや、いけない。
下にいく一方だってことは、目に見えていたから。
私は新しい道を切り開きました!
辞めてすぐオーストラリア行っちゃえば良かったんだよねー
今思えば(;.;)


まあ、そんなこんなで、葬儀の仕事は正社員では幕を閉じました♡

夢が叶うまでの今まで・・・その3


台湾から帰ってからは、海外に長期滞在出来る方法を調べました。


でも、私は昔から調べごとが苦手・・・
今考えると調べが甘かったなと思いますが、
やっぱり留学、ワーキングホリデーが一番自分で出来そう!と思い、
某エージェントに連絡し、次の日話を聞きに
その会社まで行きました。


そして・・・即決。笑


クレジットカードをつくったり、行くまでの予定を決めたり、英会話レッスン受けるための料金を払ったり・・・
言われるがまま!
本当にいいカモでした。笑


最初はモチベーションも上がり、お金貯めるぞー♡と意気込んでいましたが、
不思議なもので、そのモチベーションって・・・
長く続かないんですよね。特に飽きっぽいんです、私。笑


英会話も場所が少し遠いため、徐々に行かなくなり、
お金を貯めることのも怠け始め、
挙げ句・・・体調を壊し入院することになったんです。笑笑


1ヶ月しないぐらいの入院生活でしたが、
近くに友人もいなければ、家族もおらず
とてつもない孤独感を感じてしまい、
退院してすぐに実家に帰ることにしたんです。


貯めたお金は入院代でほぼなくなり、更に引っ越し、部屋の修繕費など
もうぎりっぎり。
精神的、体力的、金銭的に壊滅状態。


実家に帰って1ヶ月は何もせず、ただただボケーと過ごしていました。
が、やっぱり調子が戻ってくると遊びたくなる♡=お金稼がにゃ!


ということで、なにかしらで働こーと思い始め、求人情報見てたら
徒歩圏内で、アイス工場があることがわかり、


もしかしたらアイス食べ放題なんじゃっ・・・と思い直ぐさま連絡!
そして、見学、面接し、派遣として働くことに♡


予想通りアイス食べ放題!!!!


もうね、朝、昼、晩、基本アイスでした♡
アイス好きにはたまらない職場♡


でもね、あのね、
給料が少ない
日々単調作業
作業着は目しかでないので日々ジャージにすっぴん。
という理由で1年しないぐらい働いて辞めました♡


その後はしっかり正社員で働こう!次は一年は働かなきゃ
世間体が気になる年頃!と感じ、たくさん調べ、たくさん面接を受けたのですが
慎重になりすぎて中々決まらず・・・


そんな時・・・ずっと入院していた祖母が亡くなってしまい、
お葬式をしました。
物心ついてからの身内の葬式はそれが初めてだったので
家族葬とはいえ、全く知らない親戚が集まり
(うちは一切他の親戚と関わりがありません)
とても緊張していました。納棺や告別式、お清めなど全てが緊張で・・・


祖母と仲が良かった訳でもないし、どっちかっていうと
仲悪い方に属するのかもしれないけど・・・
これも不思議なもので、その時は祖母との良い思い出や祖母に対しての後悔しか
頭に浮かんでこないんですよね。
もう涙が止まりませんでした。なんなら、過呼吸になりました。


そんな中で、とても優しく親切で丁寧で
雰囲気を見ながら笑わせてくれたり、祖母に対しても葬家に対しても
真剣に向き合ってくれている、スタッフの皆さんに
私はすごく心を奪われてしまったんですね・・・笑
かっこいいなあ、素敵だな、こんな職業あったんだなあ。


もう、おわかりですね♡


そうです♡葬儀屋探して面接し、無事合格。
それから私の葬儀屋生活の始まりです!!!


↓強風に負けた私の常にびしっとキメてた前髪笑
なぜこの写真を撮ったのか忘れた笑